皆さん、こんにちは。最近のニュースで少しモヤっとしたことはありませんか?
そう、高市早苗首相が、衆院選で当選した自民党議員315人に「カタログギフト」を配っていたというニュースです。その額、一人当たり約3万円。総額にしてなんと約950万円相当です。
「えっ、3万円のカタログギフト? 結婚式の引き出物でもそんな高額なものはなかなか貰えないよ!」と思った方も多いのではないでしょうか。今回は、このニュースの表面的な事実だけでなく、その奥に潜む「日本社会の深層心理」や「私たちの意識」について、少し掘り下げて考えてみたいと思います。
950万円の「ねぎらい」
事の経緯はシンプルです。高市首相が、自身が支部長を務める政党支部から、選挙を勝ち抜いた議員たちへの「当選祝い」「ねぎらい」として、カタログギフトを贈りました。対象は315人。総額は高級外車が買えるほどの金額です。
国会で追及された高市首相は、「政党支部から議員個人への寄付は法令上問題はない」と答弁しました。つまり、「ルール違反はしていない」という主張です。
図1:石破前首相と高市首相の配布実績の比較(日本テレビ報道より)
法的にはシロ、でも感覚はグレー?
まず、表面的な「顕在意識」のレベルでこの問題を整理してみましょう。
確かに、政治資金規正法上、政党支部から政治家個人への寄付は禁じられていません。形式的には「シロ」です。しかし、比較対象として名前が挙がる石破茂前首相のケースを見てみましょう。石破氏も以前、新人議員15人に商品券を配りましたが、その総額は150万円相当。今回の高市首相のケースは、その6倍以上の規模です。
さらに興味深いのは、受け取った側の反応です。「様子見をしている」「一応保管している」といった困惑の声が聞こえてきます。もらった側さえも「これ、本当に大丈夫なの?」と不安になる贈り物。ここに、この問題の最初の違和感があります。
「合法なら何でもいい」という病理

さて、ここからが本題です。なぜ私たちはこのニュースを聞いてザワザワするのでしょうか。
一般常識との決定的な乖離
私たち一般市民の感覚からすれば、職場の同僚や部下に「お疲れ様」と言って3万円の商品券を配る上司はいません。缶コーヒー1本や、せいぜいランチをご馳走する程度でしょう。950万円という巨額の資金が「身内の慰労」に使われる感覚。ここには、永田町と一般社会との間に横たわる深い溝、パラレルワールドのような感覚のズレがあります。
「贈り物文化」という古い慣習
自民党には古くからの「贈り物文化」があると言われています。お中元、お歳暮、当選祝い。人間関係を円滑にするための潤滑油としての贈り物です。しかし、その原資が(間接的にせよ)税金や政治資金である以上、それは単なる「私的なプレゼント」とは訳が違います。
「法律さえ守ればいい」というモラルハザード
最も深刻なのは、「法律に違反していなければ、何をしても許される」という思考停止です。これは政治家に限った話ではありません。ビジネスの世界でも、「契約書に書いていないから」「違法ではないから」といって倫理的に際どいことをするケースがあります。
高市首相の「法令上問題ない」という言葉の裏には、「法律という最低限のルールさえクリアしていれば、倫理や品格といった高次のルールは無視していい」というメッセージが透けて見えてしまうのです。
なぜ「合法」でも許されないのか
ここで少し理論的な話をしましょう。「法」と「倫理」の関係です。
法は社会生活の「最低限の道徳」であり、倫理はその上に積み上げられるべき「理想の規範」である。
政治家に求められるのは、単に法律を守ること(コンプライアンス)だけではありません。高い倫理観(インテグリティ)と、国民からの信頼(トラスト)です。
「自分のお金じゃないから(政治資金だから)気前よく配る」という態度は、政治家としての「品格」を疑わせます。また、配られたカタログギフトの原資がどこから来たのかという透明性の問題も残ります。説明責任とは、「聞かれたから法律論で返す」ことではなく、「なぜそれが必要だったのか」を国民が納得できるように語ることなのです。
図2:専門家も「時代との乖離」を指摘(日本テレビ報道より)
もしあなたの会社なら?
少し想像してみてください。
あなたの会社の社長が、会社の経費を使って、気に入った社員全員に3万円のギフト券を配り歩いていたら、どう思いますか?
- 「太っ腹だ!」と喜びますか?
- それとも、「そんな金があるなら給料を上げろ」「設備投資に回せ」と思いますか?
- あるいは、「これって株主への背任行為じゃないの?」と不安になりますか?
国会議員にとっての「株主」は、私たち国民です。その資金の使い道として、カタログギフトは本当に適切だったのでしょうか。私たちが政治に求めているのは、身内への大盤振る舞いではなく、明日の生活を良くするための政策への投資ではないでしょうか。
おじゃる丸が感じた「3つの大きな疑問」

ここで、私のような一般の親父が感じた率直な疑問を共有させてください。法律には触れないかもしれませんが、国民感情には大きく触れていると思うんです。
疑問1:なぜ「メッセージ」じゃダメなのか?
「皆さん、当選おめでとう!一緒に国民のために頑張っていきましょう!」というメッセージだけではダメなんでしょうか?わざわざ商品券やギフト券といった「金券」に近いものを配る必要があるのか。石破前首相のケースでも大きな問題になったばかりなのに、なぜこんなグレーなことをする必要があるのか。一般の親父としては大いに疑問です。
疑問2:なぜ「自民党員だけ」なのか?
私はいつも一般の会社と比較して考えるんですが、すべての国会議員に平等にギフトしたわけではないですよね?会社で言えば、自民党の立ち位置は「営業部」のような一つの部署ということになりませんか?
社長が営業部だけに商品券を配ったら、他の部署の人はどう思うでしょうか?特別な貢献があったのであれば誰も何も言いません。でも、そうでなければ「なぜあの部署だけなの?」ってなりますよね。自民党員にだけギフト券を配る意味が、本当にわかりません。
疑問3:タイミングが最悪じゃないですか?
これから本年度の予算を作っていくタイミングです。このタイミングでギフト券を配ったら、「予算に向けての袖の下」と思われても仕方ないんじゃないでしょうか?やるなら予算が終わってからにしないと、これみよがしに野党やマスコミの追及が始まって、予算の決議が遅れるんじゃないですか。
しかも、石破さんが約束した国民への給付金は取り下げられたのに、議員にはギフト券という「給付金」を配ったという対比。ちょっと嫌味が厳しいかもしれませんが、関西人のおばちゃん総理に期待が大きいだけに、ちょっと残念でなりません。
令和のリーダーシップを見せてほしい
今は令和の時代です。昭和のオヤジ感覚ではないとは思いますが、おばちゃん総理には居眠り議員のケツを蹴飛ばすぐらいの力強い政治をしてほしいんです。浪速のど根性を見せたってや!と言いたくなります。
法に触れなければ何をしてもいいという話にはなりません。お金がどこから出たかの問題ではなく、「国民がどう感じるか」「リーダーとしてどうあるべきか」という視点が、今の政治には決定的に欠けているのではないでしょうか。
声を上げることに意味がある
最後に、このモヤモヤをどう解消すればいいのかをお話しします。
「どうせ政治家なんてこんなものだ」と諦めてしまうのが、一番の敗北です。無関心こそが、権力者のモラルハザードを助長させる肥料になります。
今はインターネットの時代です。ブログでも、SNSでも、井戸端会議でも構いません。「これっておかしいよね?」と声を上げること。その小さな違和感の表明が、世論という大きなうねりを作り出します。
今回の問題は、単なる「ギフト券の話」ではありません。「リーダーがどのような倫理観を持っているか」を測るリトマス試験紙です。
私たち一人ひとりが賢明な「株主」として、政治家たちの行動をしっかりと監視し、評価していく。それが、まっとうな社会を取り戻すための第一歩になるはずです。
この問題を「他人事」としてスルーせず、ぜひあなたの言葉で語ってみてください。その声が、きっと次の時代を作ります。